蝋板に鉄筆で

自由帳

2-2

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先の記事で、私は「めんま」の出現理由が「じんたん」の母親の遺した言葉に紐づけられているという点につき、これを当該作品の致命的欠陥と表現するつもりだった。しかし、このような話の筋書きが物語として全く不適当であるとは言えないのではないかという疑念に囚われ、「腑に落ちない」と些かぼかした形で表現するに留めた。再考が必要と考えたのである。そしてその結果、先の記事で提起した問題の第一の点について問題を具体化することに成功したので、これについて述べる。

 

まずそもそもの前提として、「めんま」は「じんたん」の母親が「めんま」に「息子をよろしく頼む」と言い遺したことを直接の理由として出現したというのは、本作の卒然と筋書きを追う限りでは、素直に承認しうる解釈だと思われる。もっともその出現理由について、「めんま」が現世に出現した時点で「めんま」自身はこれに関する記憶を失っており、それゆえに超平和バスターズの面々が再結集して「めんま」を成仏させるために諸々手を尽くすのであり、その手を尽くす過程が本作の主要部分を成す。

問題は、その主要部分たる超平和バスターズの面々が「めんま」の出現理由を探る過程において、彼らが「めんまの願い事を叶える」という目標を立てていたことにある。これは「めんまがじんたんの母親に頼まれた」という実際の出現理由と一致しない。つまり「めんま」は「じんたん」の母親の願いを叶えるべく現れた使者に過ぎず、「めんま」の願い事などというものは存在しないのではないか。そうだとすれば、「めんま」の願いを叶えるべく再結集した超平和バスターズとは一体何だったのか、「めんま」の願いとは何か、超平和バスターズの面々と共に考えてきた視聴者は一体何だったのか、大意このようなところが私が本作に不満を抱いていた第一の点であったわけである。言わば私は肩透かしを喰ったわけである。

もっとも、後から振り返ってこのような問題提起が妥当かどうか、疑いの余地なしとはしない。更にこのような設定上の齟齬と見えるものを善解する余地がないか、検討する予定である。