蝋板に鉄筆で

自由帳

1-6

けいおん!1期を場の軽音部を主題に捉えたものとして理解する意義について考えていたが、その前提としてアニメにおける主題の位置付けを検討したところ混乱を来したので、その有様を記す。しかし結論としては意味のない考察に終始しているように思われる。

 

けいおん!に限った話でなく、あるアニメの主題が何かを考えることの意義は、そのアニメが現実のいかなる問題を切り出し、その問題に対していかなる条件下で妥当する解答を与えようとしているか検討する最初の足掛かりになることだと私は考えている。しかしながら、もとよりこの主張の当否が大問題である。そもそもあらゆるアニメに主題があると考えうるか。恐らく答えは否である。しかしあらゆるアニメに主題が必要かと言えば、それも答えは否であろう。あるアニメが何らの問題も提起せず、従って何らの解答を生まないとしても、あるアニメそれ自体が現実に対して何らかの意味や効果を持つことはあろう。その意味や効果を作品それ自体に内在する要素からのみ特定することは恐らく不可能であり、主題の問題提起とそれに対する解答が対応するタイプのアニメとは別の分析枠組で考察しなければならないだろう。もっともその対応というのも、視聴者自身の問題意識の反映と区別しうるのか、疑問なしとしない。

 

ここまで色々と考えてみたが、さしあたり全てのアニメを論じる必要はなく、従ってそのための枠組を用意する必要もないのである。であるからして、問題の拡散を防ぐべく、例えばけいおん!の話をするにしてもこのアニメがある問題を切り出してそれに対する解答を与えているということははじめに仮定しておき、その仮定が正しいこと並びに問題提起及び解答を、できる限りアニメに描かれている事柄を直接の根拠としながら述べていけばよいわけである。