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蝋板に鉄筆で

自由帳

けいおん!-3

けいおん!から私が抽出した日常系アニメの要件についてごく簡単な素描を行う。ここではけいおん!に関する具体的な言及は行われない。

 

優れた日常系アニメは、次の二つの要件を満たすと考える。すなわち、

1.日常が描かれていること

2.1で描かれる日常がかけがえのないものであること

 

1.

日常が描かれているとはどういうことなのか、考えてみるとよく分からない。よく分からないのにそれを日常系アニメの要件として挙げているのはどうなのか、ということになるが、それはそもそも日常系アニメという呼び方に内在する問題だろう。もしかすると、非日常でないこと、非日常的要素が極力排除された描写がされていることが日常を描いていることと言えるのかもしれない。

いずれにせよ、そこで描かれる要素はありふれたものでなければならない。奇矯な人物が異様な掛け合い漫才を為すアニメはコメディでは有り得ても日常系アニメではないだろう。異常は日常になじまない。人物と状況が十分現実的であり、描写が私達の想像力の外側に踏み出さない程度に抑えられていることが必要なのだろうと思う。

 

2.

とにもかくにもこうして何らかの意味における日常が描かれたとしても、その日常に特別の意味がないのでなければ描かれる意味がない。かけがえのない日常とは誰にとってか、またどの時点においてか。

私達がアニメを観た後で改めて自らの日常を振り返って、それがかけがえのないものだと気付くことがあるかもしれない。しかしそのことと、描かれた日常それ自体が価値あるものだということとの間にはまだ距離がありそうである。描かれた日常の価値が問題である。しかも、その日常を営む者がその日常に価値を感じることが必要である。私達の日常の価値を私達が決める如く、作中の日常の価値は作中人物がこれを決するのである。

その価値はいつ決せられるか。日常を営む中でふとした瞬間にその価値を見出すもよし、後から振り返って積み重ねられた日常の輝きに気付くもよし、とにかく作中人物がこれを見出すことが最重要である。