小林さんちのメイドラゴン-4

7話時点で本作に対して言い得ることを述べる。

 

1.

ファフニールやルコアはトールの保護者的な位置に付いて話を回していくのだと4話時点では考えていたが、そうではなく、各々人間に何らかの関心を持ち、従前の人間観に修正を加えていくことになるようだった。小林とトール間の関係とパラレルに、異形のドラゴンが人間界で生きることの意義を多角的に描写することに繋がるだろう。

 

2.

非常に早い段階から示唆されていたとは思うが、本作は過去の確執や未来への不安は全て抜きにして、今この瞬間に、ドラゴンと人間が互いに異なる価値観を持ったままで共に生きていることに焦点が当てられ、それが如何に尊いかを強く表現していると感じる。かつ、その主張の当否は問題とならず、如何に説得的にそう主張できるかで勝負しているようだ。

5話のスプーン曲げのくだりで、トールが「分かってます…分かってますよ」と言うシーンで小林がトールに伸ばして、でも届かない手とか、7話のトールの背中に乗る小林とトールとの会話で小林が感じた悲しさとか重さとか、どうしたって価値観を共有できないことは色々な場面で示唆される。それでも、互いになにかしら愛着を持って一緒に過ごしている。

相手の寿命が先に尽きるかもしれない?そんなことは今この瞬間問題にはならない。トールのように一緒に居たいと思える人間と一緒に居て、あるいはファフニールのように心地良い距離感の人間と面白いと思ったことにのめり込んで、それで十分幸せなのである。

 

繰り返すように、この主張の当否はこの作品内では問われないだろう。この主張に全く相反する帰結をもたらす主張を説得的に為す作品が対置されたうえではじめて、この作品の真価が問われるかもしれない。