君の名は。

私は「君の名は。」を良い映画だと考えている。そこでそのように考えるに至った背景について、本作の大雑把な解釈を交えながら述べたいと思う。

 

本作はしばしば恋愛映画だと称されているように私の目には映るが、私はそのようには考えておらず、むしろ未完成の自意識への気付きと統合を描いた作品だと捉えている。瀧と三葉は人格を分有しており、二人は出会いと別れを経て片一方では未だ不完全な自己の人格に直面する。自己の半身を探す過程は本作で特に描かれてはいないが、最終的に二人は再び出会い、自意識が完成する。

 

ここまで書いてみて、だからどうした、それが何だという気分になってきた。そもそも私は本作の意義に興味がないし、と言うか特段深い考察を要すべき意義自体が存在しないと考えていたのだった。そうであるからこそ私はのびのびと気楽に綺麗な背景と素晴らしいキャラクターデザインを楽しめたし、作中随所に散りばめられていたように思われる問題も全部彗星が吹き飛ばしてくれるので考察する必要もなく、視聴から二時間で完全にスッキリ爽快な気分になって映画館を後にできたということになるわけである。

多くの批判が寄せられているように思われるエンディングについても、まあ後ろ三分をカットして具体的な再会シーンを描くことなくそれを示唆するに留めたとしても十分ハッピーエンドであることが伝わったようにも思うが、分かり易さを重視したというのならそれはそれでいいような気もするし、そんな細かいことはどうでもいいのではないか、という感想だけがある。彗星が全ての問題を破壊した時点で私は本作が一切の思考を要求していないのだと解釈したし、そのように観れば実に快適な映画だったという気分以外何も残すことなく脳内の雑念と一緒に綺麗さっぱり忘れることができるのである。