蝋板に鉄筆で

自由帳

小林さんちのメイドラゴン-6

小林さんちのメイドラゴンの原作に一通り目を通したので、アニメ化の成否について10話放映終了時点での見解を述べておきたい。先に結論を言えば、アニメ版の小林さんちのメイドラゴンには、原作と独立した価値を見出し得ると考えている。

 

 アニメ版が原作と一線を画し、それによって独自の価値を生み出し得ている最大の理由は、小林・トール・カンナの疑似家族関係を前面に押し出した作品作りをしている点にあるように思われる。ここで描かれる関係においては、小林がどちらかといえば父親役、トールが母親役、カンナが娘役を演じているように見える。

しかし、それにもまして重要なのは、この関係があくまで「疑似」家族であって本当の家族ではないことに十分考慮が及んでいることである。その配慮は二つの方向に現れている。一つは小林とトールの関係であり、家族とも主従とも、恋人とも姉妹とも友達とも確定し切れない微妙で複層的な感情の揺らぎが緻密に描かれている。この観点から言えば8話が最も重要であろう。そしてもう一つは小林とカンナの関係であり、ここではむしろ小林が逆にカンナとの疑似家族関係を重視して、カンナの保護者として振る舞う姿が描かれている。9話において、小林がカンナの運動会に「行きたい」のではなく「行くべきだ」と考えたのはこのような観点から理解される。

 

そして、いまアニメ版小林さんちのメイドラゴンは、上述の疑似家族関係とその諸相を描くことを主要な骨格にしつつも、人間とドラゴンの本質的な価値観の相違からくる葛藤という、原作で重視されていると私が考えるところのテーマからは軸足を離しつつあるように思う。8話乃至10話においては、対立や葛藤よりもむしろ、人間界に馴染みつつあるドラゴンが、各々の個性を人間界の制約のもとで発揮することの面白味を描く段階に入っているよう感じている。