けいおん!-4

けいおん!シリーズ全体の意義を簡潔に述べる。

けいおん1期は、①善なる人間が②自らの興味関心に即応した③小コミュニティを形成した場合の成功例を端的に示している。①②③の要素の全てが重要である。けいおん1期はあくまで善良な人間が集うことによるポジティブな作用を叙述する作品であり、悪質な人間が善良な人間に感化されて善を拡大することが可能かという難問には未だ挑戦していない。むしろ、コミュニティ形成の任意性と規模の極小性と二つの要素を駆使して、悪質な人間の参入を防いだ上で活動の質を保っている点に特徴があるということである。

けいおん2期においては、1期における良質なコミュニティの存在を前提として、コミュニティの時的存続可能性が問題とされる。軽音部は任意性に重要な基礎を置くコミュニティであり、存続の決定権はコミュニティの構成員に委ねられている。そして2期1話において、彼女らはコミュニティを存続させないことを総意でもって決定した。けいおん2期は、彼女らの決定の帰結と代償を24話ないし27話掛けて描いた物語であるとも捉えられる。

もっとも、けいおん2期はコミュニティの終了後における構成員の在り方について、十分煮詰まった解を提示しているとはいえない。構成員のうち、3年生組4人は進路を同じくしてしまうことでコミュニティの消滅の意義が曖昧になってしまうし、また3年生組が卒業して一人残される梓に対しても、唯が24話において「心が繋がっているから大丈夫だ」という趣旨の発言をするのみであり、コミュニティの消滅後に残された実質的な手当ての在り方は何ら明らかになっていない。ここにけいおん2期の限界があることは周知の通りである。

とはいえ、けいおん!シリーズが1期2期を通じて、良質のコミュニティの形成及びその存続の問題について明晰に意識した上で取り組んだことは疑いがない。なお残された問題が多いとしても、小規模コミュニティの理想的な在り方とその限界を示すという目標は十二分に果たされていると言えよう。