蝋板に鉄筆で

自由帳

少女終末旅行

昨日『少女終末旅行』が最終回を迎えたので、最終回を読んで受けた感銘に絞って完結に述べる。

 

私は、最終回を迎える以前から、本作の世界が既に終わっており、上から下まで虚無で満たされていると考えていた。従って、チトとユーリが上を目指したとしても、そこには結局何もないだろう、だからチトとユーリのやっていることは無意味だ。大意このように考えていた。

実際、チトとユーリが辿り着いた世界の頂上には何もなかった。チトはユーリに問う、「私たち、これで正しかったのかな」と。もっと早く引き返していれば、食料のある場所を探し歩いていれば、運命が尽きることもなかったのではないか?

この問いに対するユーリの回答とそれに連なるエンディングこそまさに本最終回の白眉である。ユーリは答えるのだ、「生きるのは最高だったよね」と。世界の意味もあるべきだった生き方も分からない世界で、それでもなお生きることそれ自体を全肯定する結末を迎えるなどとは、私には思いもよらなかった。

エンディングも、私が当初予想していた二人の死で終わるという結末とは異なっていた。これから二人がどうするか、開かれているのである。勿論二人は長くは生きられないだろう。既に世界は終わっているのだから。でも、自ら死を選ぶシーンは描かれず、二人がこれからどうするかは二人がこれから決めるのである。恐らく二人は、まだもう少しだけ生きるのではないか。これまで生きてきた道筋は最高だったのだから。これからこの終わった世界で生きる道筋も、彼女達なら肯定できるだろう。

 

本作最終話のユーリの主張は、何らかの「祈り」であると言い得るように思われる。「祈り」という概念について、「祈り」概念を持ち出すことの適否を含めて、私は今のところ明晰な認識を持てていないので、また別の機会に議論したいと思う。