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蝋板に鉄筆で

自由帳

1

このブログを開設する意義は二つある。すなわち、

1.140字の枠を取り払ってより大きな観念を形成し、これを文章で表現すること

2.ある作品について他人と語るための準備作業を行うこと

である。以上を敷衍すると次のようになる。

 

1.

日頃Twitterを活動の場にしていると、思考が140字という字数制限に制約されてしまう。1post140字で表現しうる程度のことしか考えなくなる。これではいけない。

たとえ文字に起こせば140字を超える思考をしても、これを投稿するために思考を140字の単位で分割し、あるいは刈り込んでしまう。例えば160字分の思考をしたとして、文章表現を細かく弄って140字の枠に組み込むか、80字×2のTweetに分割するか、などといった些末な事柄に頭を使わなければならない。無意味だ。

140字の枠を取り払って、できればそれよりも大きな観念を形成するよう意識し、かつこれを言語化して表現する習慣を付けなければ、自分の思考力は著しく減退し、あるいはTwitterの形に極度に適応した形に歪められるのではないか。このような危惧からブログの開設に至った。

 

2.

ブログを開設するとして、一体何を書くか、である。

私はここ2、3年の間に、アニメを観るようになり、漫画を読むようになり、小説その他色々の本に触れる機会を増やしてきた。しかし、せっかくこれらの良質なコンテンツに触れても、これらについて他人と十分に語ることができていない。コンテンツをどのように受容し、どのような感情を抱き、どのような見解を持つに至ったか、事前に十分に言語化する作業が不足していたからである。

このような言語化に当たって、上述のようにTwitterというツールは不適当である。何の準備もなく140字程度で語れることは高が知れている。より大きな観念を事前に形成し、推敲を重ねて140字に凝縮するのであればあるいは意味があるのかもしれないが、そうでないならば140字はあまりに窮屈だ。私はコンテンツについてもっと自由に語りたい。語れるようになりたい。十分に言語化しておきたい。そのためのプラットフォームとして、適当なブログを開設してコンテンツに対する見解をまとめておくことは有益だろう。

 

ここまでの考察を踏まえ、このブログの目標は次の2点に絞られる。すなわち、

1.毎回141字以上書くこと

2.毎日続けること

である。これに加えて、「あるコンテンツに触れたときには必ず141字以上の見解を持ってこれをブログに書く」というルールを付け加えようかとも考えたが、このようなルールに縛られてコンテンツの摂取が遅れては本末転倒だし、どのコンテンツをどれだけ語るべきかには濃淡があるから(語る必要のないコンテンツがなんと多いことか!)、採用は見送った。

 

三日坊主にならないか早くも心配だが、さしあたり私の頭の中に、今まで摂取したコンテンツについて語り足りないことがまだ言語化されないままにぼんやりと浮かんでいるので、しばらくはこれらを言語化する作業に取り組みたい。