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蝋板に鉄筆で

自由帳

小林さんちのメイドラゴン-3

小林さんちのメイドラゴン4話を視聴したので、若干の感想を述べる。

 

1.

4話はまず、新キャラの才川リコの存在が大きい。実に可愛い。まだ出番が十分でなく、本作の人間関係の中に十分位置づけられていないので、次回以降もどんどん出演して欲しいと思っている。

次にファフニールとルコアの位置付けであるが、本作ではトールの保護者的存在として描かれているように思われる。トールの人間界での成長とまで言えば言い過ぎかもしれないが、何らかの変化を見守っていると言ったところだろう。

 

2.

本作全体と関連して4話で最も重要な点と思われるのは、人間界における排除と包摂の問題である。すなわち、ひとは自分と異なるものを恐れ排除する一方で、自分と異なるものであっても力ある者を仲間に取り込もうとする、という主張である。そのような人間に対してドラゴンはどう接するか。ここでカンナは必ずしも力で捻じ伏せるという方法を取らない。才川の前で嘘泣きをしてみせるなど、一見迂遠な方法でもって人間界に溶け込もうとする。ドラゴンの側からの譲歩である。

何故そうするのか。カンナは言う。「近くに居て、同じ時間の中に居るから、一緒に居たいって思えるのかも」と。つまり、たとえ人間の姿で過ごすことが少しばかり窮屈なあり方であるとしても、人間と目線を合わせてみるということである。3話の風呂のシーンにおける小林とトールの会話にも通底する考え方である。

人間とドラゴンは分かり合えるか、おそらく解答は得られない。しかし、たとえそれが束の間の平和に過ぎないとしても、一時の戯れだとしても、全く異なる価値観を持つ者同士が共に暮らすということに価値を見出そうとしている、と私には思われる。もっともその共に暮らすあり方をどのような言葉で表現すべきかについては、私は未だ確たる見解を持っていない。既に一種の疑似家族的な在り方であるという見解が提起されており、有力な見解のようにも思われるが、人間とドラゴンの生物学的な差からくる価値観の違いを取り込みうる枠組みか、疑問でもある。

 

3.

なお私は、人間が異物を排除する傾向を持つということを小林に提示させたのは、その主張が人間の分析としてある程度妥当性を持つとしても、通常ドラゴンが異物にどう接するのかという点が必ずしも明らかでなく、それと人間のやり方との妥協点を見出すという観点を欠くことから、若干先走りというか上滑りの感がないではないように思っている。私の問題意識に寄り過ぎた考え方ではあるが、ドラゴンが人間に合わせ、人間がそれを受け入れるという構造をもう少し捻らないと、異種間関係を先に進めるのは難しいのではないか。