零の軌跡と私
今そこにある情熱
いま、私は全精力を「零の軌跡」というRPGに傾けている。他のこと(健康や生活、人生など)はすべてどうでもよいものとして取り扱っているが、零の軌跡をプレイするために必要な限りでお付き合いしている(という態度で仕事をしていたらもっと働けと詰められた…)。
まさに今、零の軌跡のプレイは佳境を迎えており、終章における太陽の砦の攻略を残すのみとなった(これがラスダンかは分からないが…)。PS4で零の軌跡が発売されてからというもの、私は余暇という余暇を全て注ぎ込んでおり、シナリオの展開も私の興奮も、まさに最高潮に達している。(空の軌跡3作品をクリアした時の私の経験が物語るように、)ひとたびクリアしてしまえば花火のように何も残らないであろうこの情熱は、何としても書き留められなければならない。
愛とか
何故私が零の軌跡のプレイに(そしてプレイするということのみに)狂奔しているのか、私自身明確に語ることはまだ出来ないけれど、しかし私の中には確実に軌跡シリーズに対する愛があるのだと思う。
振り返れば、零の軌跡に手を付ける前に軌跡シリーズに触れたのは、空の軌跡 the 3rdをクリアした日が最後だった。私の大好きな空の軌跡が完結してから、実に13年近くの時が流れ、軌跡シリーズは9作品を数えるに至った(那由多の軌跡と暁の軌跡は含まない)。
今まで何故軌跡シリーズを迎えに行かなかったのか、迎えに行くことを放棄してすらいたのか。8年前、泥酔して軌跡シリーズの愛好家である友人から碧の軌跡の結末を聞き出したりなどしたのか(もっとも、その内容は一切覚えていないけれど)。
愛する作品群に自分の全てを捧げるほど幸せなことなど、この世には存在しないようにさえ思える。