備忘(感想について)
下記について、銘記し敷衍する必要があると思われたので、記事を作成する。昨晩の私のTweetを元にしている。
よりよく物事に対する感想を述べるために、①感想を述べる対象を明確にする、②その対象にどのような感想を抱いたのか、③その感想を抱いたのは、どのような基準によってどのような判断をしたからなのか、という分析を順番を間違えずに行う必要があるが、私はとにかく①が苦手なのだと気付いた。
③については、判断基準から判断過程を導き出す演繹的手法と判断過程から判断基準を導き出す帰納的手法が考えられると思っており、かつ私は自分自身を知りたい欲求から後者の方法により魅力を感じているが、今は③の能力を伸ばすべき時期ではない。その段階に達していない。
私が今すべきことは、感想の対象となる事実のみを選び出して記述する能力、つまり①の能力を磨き上げることだと考えている。私が最近になって始めた日報の習慣はこれに資する。感想であって事実ではないことを排除する訓練が必要である。
当座の目標として、ある対象に抱いた自分の感情を十全にひとに伝える能力を身に付けたいという思いがある。他方、おそらく、ひとの感情を揺り動かす何かをこの世に生み出したいという情熱(それは感想を上手く伝えることとは異なる次元に属するように思われる)はまだ私の中に芽生えていないようだ。
さて事実を認識して言語化するという訓練であるが、日報は事実と判断・感想の選り分けを意識するという意味で非常に有用ではあるけれども、ある対象を詳細に観察して、事実を適切に整理し記述する能力を伸ばすには不足がある営為でもある。
さしあたって、ある物語の一部のみを取り出してそこに描かれている事柄を書き出してみるという作業を試してみたいと考えているが、負荷が大きいように思われ、実現しあぐねている。どうしたものか?
零の軌跡と私
今そこにある情熱
いま、私は全精力を「零の軌跡」というRPGに傾けている。他のこと(健康や生活、人生など)はすべてどうでもよいものとして取り扱っているが、零の軌跡をプレイするために必要な限りでお付き合いしている(という態度で仕事をしていたらもっと働けと詰められた…)。
まさに今、零の軌跡のプレイは佳境を迎えており、終章における太陽の砦の攻略を残すのみとなった(これがラスダンかは分からないが…)。PS4で零の軌跡が発売されてからというもの、私は余暇という余暇を全て注ぎ込んでおり、シナリオの展開も私の興奮も、まさに最高潮に達している。(空の軌跡3作品をクリアした時の私の経験が物語るように、)ひとたびクリアしてしまえば花火のように何も残らないであろうこの情熱は、何としても書き留められなければならない。
愛とか
何故私が零の軌跡のプレイに(そしてプレイするということのみに)狂奔しているのか、私自身明確に語ることはまだ出来ないけれど、しかし私の中には確実に軌跡シリーズに対する愛があるのだと思う。
振り返れば、零の軌跡に手を付ける前に軌跡シリーズに触れたのは、空の軌跡 the 3rdをクリアした日が最後だった。私の大好きな空の軌跡が完結してから、実に13年近くの時が流れ、軌跡シリーズは9作品を数えるに至った(那由多の軌跡と暁の軌跡は含まない)。
今まで何故軌跡シリーズを迎えに行かなかったのか、迎えに行くことを放棄してすらいたのか。8年前、泥酔して軌跡シリーズの愛好家である友人から碧の軌跡の結末を聞き出したりなどしたのか(もっとも、その内容は一切覚えていないけれど)。
愛する作品群に自分の全てを捧げるほど幸せなことなど、この世には存在しないようにさえ思える。
言の葉の庭
「言の葉の庭」を観た(2回目)。
自分の記憶が正しければ、初見では、終盤で秋月と雪野が激情をぶつけ合うシーンに対して、本作全体の雰囲気にそぐわない表現であるという旨の感想を述べたように思う。
初見時に、何故そのように感じたかという事自体にいささか気を取られてしまったきらいがある。
さておき、今回の視聴においても、本作に対する印象というか、感想は、よく分からない話だなあ、しかし新海誠の作品であることだなあ、という程度に留まる。
どうもこの話とは反りが合わないのかもしれない。上手く乗れない。
何故だろうか?
まだ一人では大丈夫じゃない人達が、大丈夫になるまでの物語だと、ひとくくりに、大まかに捉えることくらいしか、今の私にはできない。
何によって、何故、大丈夫になったんだろう?
私には、まだ良く理解できていない。
ハンドシェイカー
先日ハンドシェイカーを全話観たので、備忘の為に感想を記しておく。
私がアニメでもっとも重視する要素は、技量の高い声優が主要なキャラクターを演じているか否かという点に尽きているのだが、そのような意味において、本作の、とりわけ女性キャラクターの演技は耳に快かった。
もっとも、諸星すみれさん演じるこよりが喋るシーンが、記憶と言葉を失ったという設定上どうにも少なかったことは、本作の誠に惜しむべき点である。
以上述べたとおり、本作には快適さを感じさせる要素が確かにある。しかしながら、それら快適さを相当に打ち消す程度には、設定の随所に違和感を覚える。
とりわけ、1組のハンドシェイカーが生まれるための要件が緩やかに過ぎはしないかという疑問がどうにも拭えない。
感情的な繋がりがハンドシェイカーをハンドシェイカーたらしめるというのは、いささか絞りが甘過ぎはしないか。
もっとも、それを踏まえた上でより強い感情的、運命的な結びつきがあり、かつ強い願いを有するハンドシェイカーが、より強力なハンドシェイカーになるという設定(だと、私は理解しているが…)は、それが設定として十分詰められているかは別として、無矛盾ではあるように思うけれど。
このように設定自体に曖昧さがあるという点につき、意識を向けさせられてしまったことが、本視聴体験における反省すべき点とも言えるかもしれない。設定のガバガバさはおそらく本質ではないから。
きみと、波にのれたら
これは中々良い作品だと思ったので、備忘として感想を残しておきたい。
何が優れている作品なのか。恋人の死によって話全体の雰囲気を沈鬱にすることなく、主人公の受容と再生を明るいタッチで描き出すストーリーの構成、脚本の妙であろうと思っている。安心と信頼の吉田玲子先生といったところか。
また、私は、受容できる声優の演技の幅が非常に狭いところ、川栄李奈さんの声の演技が相当優れていると感じた。元国民的アイドルグループのメンバーだったそうだが、中々どうして、耳に快い演技であった。もっとも、キーとなる雛罌粟港役の演技については、そこそこという程度の感想しか抱いていないけれど。
この作品は、何の要素が優れているのか。
一つには、作中のあるシンプルなギミックが実にさりげなく、納得のいく形で織り込まれており、主人公が再生し、一回り成長した理由を違和感なく理解しうるところにあると思う。
また、所謂イケメンキャラに不快さというか嫌味というか、そうした要素がないという点も、それを実現することが必ずしも容易ではないと思われるところから、本作品の優れた点として挙げうるように思う。
以上を備忘として残し、更に思い出すことがあれば追記する。
宇宙よりも遠い場所
1.
「宇宙よりも遠い場所」を12話まで鑑賞した。今思えば,必ずしも明らかではないが,私は従前,個人の問題と二人間,三人間及び更に大きな集団間に特に生起する人間関係それ自体の問題を切り分けて論じるよう努めてきたように思う。しかるに本作は,私の問題意識から言えば,高度に善良な人間関係が,個人の問題を解決する手掛かりを与える場合を示しているように思う。どう考えるべきか。まずもって,本作12話において,とりわけ焦点の当てられた報瀬の旅の目的に議論の対象を絞って考え,その思考の過程を記す。
2.
既に亡くなった母の報瀬はこの旅を「最後の旅」と称した。このことと,キマリの「南極に来たおかげで私は青春できた」という趣旨の発言の対照が重要な意義を持つ。報瀬にとっての終わりが,キマリにとっての始まりであったことになる。加えて恐らくは,報瀬にとっってもこの旅は終わりでなく,始まりになりうると解する道があることが,最終回では示されなければならない。
3.
その為に報瀬には何が必要だったか。まずは母の旅路が途絶えたことを,母の旅路の全てを追うことで確認しなければならない。そうしなければ報瀬は前に進めない。前に進めないと考えている。
さて,母の旅路が途絶えたことと,そのことを報瀬が確認したことは,一行が報瀬の母のPCを発見し,これを起動したところ報瀬が送ったメールが未読のままに何百何千と溜まっていたシーンが挿入されることで,印象的に表現された。報瀬の道は少なくとも,母の背中を追うだけでは切り拓かれない。どうすべきか。そもそも報瀬は何を目指すべきか。単に南極を目指すのではない。これから何を為すのか。
或いは,南極に来る過程で何を為したのか。残りの三人が,報瀬の旅に単に母の背中を追う旅というだけではない意味を加えたことは確実である。それを報瀬が如何なる過程で認識し,新しい問題を発見し,それに取り組むか。残りの三人が南極への旅で各人抱えていた個人の問題を解決した一方,報瀬の問題はそれが報瀬自身が追求すべき終局的な問題ではないのだろう。そしてそうであることが明らかになった上で,なお新しい問題を発見しうるか,或いは意識されていなかった問題及びその解決への道筋が,母の背中を追うという過程を経て忽然と浮かび上がってくるか,そうなった場合に,残りの三人が報瀬の新しい問題発見及び解決に如何なる作用を及ぼしたかを如何なる観点から分析するか,こういった一連の複雑な事柄を検討しなければならない。
1-9
今日は折角のタイミングに何一つ話すことが出来ず,何一つ考えていないことを暴かれ,最近如何に碌でもない生活を送っていたかが一目瞭然明らかとなり,非常にプライドを刺激されたので,もう少し脳を働かせて生きようと思った。いくら問題意識が重要と嘯いても,それを深めることがないのであれば生きている意味が無いので。